一般社団法人 日本生物物理学会(生物物理について)

化学受容

「化学物質の受容:細菌の走化性(味覚)を司るバイオセンサー」

■背景  化学受容とは、液体や気体中に存在する化学物質を刺激として感知(受容)することをいいます。難しい言葉のように思えますが、私達人間も様々な化学受容器(バイオセンサー)を備えており、たとえば五感では味覚・嗅覚を担うセンサーが化学感覚レセプター(受容体)です。一方、比較的原始的(と言われる)原核生物の細菌(バクテリア)も化学物質に対する走性(走化性)がヒトの味覚・嗅覚に相当します(→走性:専門C-25)(図1)。

図1. ヒトと細菌の感覚の比較。ヒトの味覚・嗅覚に相当する感覚が細菌走化性である。

 運動性のある細菌の多くはべん毛を備え、このべん毛を回転させることで推進力を得ます(→バクテリアべん毛:専門A-11)。生物が栄養物質に近づき、有害物質から遠ざかる性質を走化性といいます。細菌の走化性はバイオセンサーである化学受容体(走化性受容体)が特定の化学物質を入力刺激として感知(受容)し、細胞内に伝達するところから始まります。伝達された刺激は細胞内で情報処理され、最終的にはべん毛モーターの回転方向の制御という形で出力されます(図2)。

図2. 細菌走化性のシグナル伝達経路。細胞内の情報伝達はリン酸化のシグナルカスケードである。走化性受容体が忌避物質と結合するとキナーゼCheAの自己リン酸化が促進される。CheAのリン酸基がレギュレータCheYへ転移する。リン酸化されたCheYがべん毛モーターのスイッチコンポーネントに結合するとべん毛が右回転し、菌は方向転換する。走化性受容体が誘引物質と結合するとCheAのリン酸化が阻害され、リン酸化CheYが減少する。CheYが結合していなければべん毛は左回転し、菌は直進する。化学物質のセンサーとなる走化性受容体の細胞外ドメイン(センサードメイン)は様々な化学物質を受容するために進化的に分岐しており、多様性に富む。一方、走化性受容体の細胞質内ドメインはCheW・CheAにシグナルを伝える必要があり、相同性が高い。

 当研究室では化学受容の物質認識・刺激伝達の分子メカニズムを探るため細菌走化性受容体に焦点をあて、研究を行っています。私達の体を標的として攻撃してくる病原細菌も多くが運動性を備え、この走化性を病原性の発揮のために駆使しています。消化管感染症を引き起こす病原菌の胃のバリアをくぐり抜けた後多くの場合腸管に定着しますが、その定着に走化性を使います。私達はコレラを引き起こすコレラ菌に着目し、2種のアミノ酸走性受容体を同定しています(文献1, 2)が、こういったアミノ酸走性受容体もコレラ菌の定着に関わる重要な機能因子として考えています(図3)。

図3. コレラ菌の定着様式。コレラ菌はヒトの小腸表面に定着してコレラ毒素を発現し激しい下痢を起こす。小腸上皮の特定部位に辿りつくために走化性を使うと考えられている。
一方、上皮からの分離・脱出には負の(忌避)走化性を利用するのかも知れない。

■研究概要  当研究室では現在、運動性のある病原細菌を中心に、コレラ菌走化性の研究を継続するとともに、嫌気性菌の走化性という難しいテーマにも取り組んでいます。また近年の当研究室での解析により、これまで有害物質から逃避するという、消極的な行動と考えられてきた忌避応答について、彼らの生存戦略や病原性により積極的に寄与する、新たな意義が見出されつつあり、当研究室ではこの忌避応答に注目し、引き続き探究していきます。

■科学的・社会的意義  病原細菌の生存戦略や病原性と走化性には密接に関係があることから、研究を進めることで細菌感染症のあらたな予防・治療法の開発につながることが期待されます。また、ある化学物質が生物にとってどのように受容され、その刺激がどのように伝達されるのか、そのメカニズムの解明も分子生物学的に重要なポイントとなります。何しろ化学受容体はあらゆる生物に無数に存在するのですから。そういった知見の積み重ねが化学受容の総合的な理解に繋がります。私達ヒトの場合でも感覚受容の他に、がんや免疫、代謝調節、内分泌系、そして後述の神経伝達など、生体内で起こる様々な現象のほぼ全てに化学受容が関わっています。常に、そして色々な情報が私達の体の中を駆け巡っているのです。
 「それで結局、こういった細菌の走化性受容体と私達ヒトの化学受容体に何の関係があるの?」と聞かれることが良くあります。残念ながらヒトの味覚・嗅覚の受容体とは直接の関係はありません。しかし近年になって、細菌走化性受容体の一部のグループについては、真核生物の受容体も含む大きなファミリーを形成していることが近年明らかになり(文献3)、ヒトの神経伝達に関わる受容体等との思わぬつながりが見出されつつあります。将来的には私達の研究での知見が新規鎮痛薬のスクリーニングなどの応用研究に役立つときが来るかも知れません。

■参考文献 1) Nishiyama S, Suzuki D, et al. (2012) "Mlp24 (McpX) of Vibrio cholerae implicated in
pathogenicity functions as a chemoreceptor for multiple amino acids." Infect Immun
80:3170-8.
2) Nishiyama S, Takahashi Y, et al. (2016) "Identification of a Vibrio cholerae
chemoreceptor that senses taurine and amino acids as attractants." Sci Rep 6:20866.
3) Gumerov V, Andrianova E, et al. (2022) "Amino acid sensor conserved from bacteria to humans." Proc Natl Acad Sci USA 119:e2110415119.

■良く使用する材料・機器 1) 暗視野顕微鏡システム(株式会社オリンパス)
2) 嫌気グローブボックス(株式会社UNICO)
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2024年分野別専門委員
新潟薬科大学・応用生命科学部・食品安全学研究室
西山宗一郎 (にしやまそういちろう)