一般社団法人 日本生物物理学会(生物物理について)

生命体システム情報学

「多様な細胞タイプを持つ多細胞生物をシステムとして理解する」

■背景 多細胞生物の発生過程では、1つの受精卵が次々に分裂し、神経細胞や血球細胞など多様に異なるタイプの細胞へ分化することによって、複雑な体制を持つ個体が形成されます。
この発生過程を司る遺伝子やタンパク質などの構成要素は次々に同定されていますが、一方で、細胞内部の化学反応はつねに確率的に揺らいでおり、そのようなノイズの中で、どのようしていつでも同じタイプの細胞が同じ場所に同じタイミングで出現するか、その安定性の仕組みはよく解っていません。こうした問題は、遺伝子やタンパク質といった構成要素を調べ上げるだけではなく、遺伝子やタンパク質の間の相互作用、そして細胞の間の相互作用によって維持されるシステムの性質として理解すべきものだと考えられます。



図1(a): モデルの模式図。内部に遺伝子発現のネットワークを持つ細胞が、分裂をしつつ環境を通じて相互作用している。図(b):相互作用による細胞分化過程の一例。それぞれの図は、複数の遺伝子発現量のダイナミクスを示している。細胞数が小さい場合には、全ての細胞は図中の未分化細胞とされた複雑に振動する細胞状態を持つが、分裂によって細胞数が増加することによって系全体が不安定となり、一部の細胞が別のより単純なダイナミクスを持つ状態へ遷移する(分化細胞の状態)。

■研究概要 そこで私達は、計算機の中に仮想的な多細胞生物の発生過程を構築し、その計算機シミュレーションから、どのような細胞内外のダイナミクスが細胞状態の多様性と安定性をもたらすかを解析しています(文献1~3)。具体的には、内部に遺伝子制御のネットワークを持つ細胞を考え、それが相互作用している簡単な多細胞モデルを計算機上に構築し、そのシステムにおいて普遍的な性質を調べています。ここで普遍的とは、モデルの細部に依存せずに出現することを意味しています。その結果、多様な状態に分化する能力を持つ未分化細胞(幹細胞と呼ばれています)は、時間的に複雑に振動する内部ダイナミクスを持ち、そこから分化してきた細胞は、より単純な内部ダイナミクスを持つことが明らかになりました(図1を参照)。また、その複雑な内部ダイナミクスを幹細胞からの分化は、周囲に存在する細胞の構成比によって勝手に制御され、結果として細胞集団レベルでの安定性を持つことが示されました。こうしたシミュレーションによる研究によって、未分化な状態とはどのような発現ダイナミクスを持ち、どのような遺伝子の制御ネットワークが未分化な状態を作り出せるかが明らかになりつつあります。

■科学的・社会的意義 この細胞シミュレーションの結果は、ES細胞や造血幹細胞、あるいは受精卵といった分化能を持つ細胞においては、複雑に振動する遺伝子発現のダイナミクスが存在することを予言しています。実際に最近になって、ES細胞の内部状態が大きな多様性を持ち、一部の遺伝子が時間的に振動していることが実験的に見いだされています(文献4)。私達は、こうした細胞シミュレーションからの帰結と、幹細胞の1細胞レベルでの実験的解析を組み合わせることにより、多細胞生物のシステムとしての性質を理解することを目指しています。

■参考文献 1)Ckara Furusawa and Kunihiko Kaneko (2012). " A dynamical-systems view of stem cell biology. " Science 338(6104):215-7.
2)Ntiro Suzuki, Chikara Furusawa, and Kunihiko Kaneko (2011). " Oscillatory protein expression dynamics endows stem cells with robust differentiation potential." PLoS One 6(11): e27232.
3)金子邦彦 (2009), 「生命とは何か―複雑系生命論序説」東京大学出版会
4)Tomas Graf and Stadtfeld (2008). " Heterogeneity of Embryonic and Adult StemCells." Cell Stem Cell 3(5): 480-483.

H24年度分野別専門委員
理化学研究所・生命システム研究センター
古澤力 (ふるさわちから)
https://www.qbic.riken.jp/japanese/research/outline/lab-13.html