一般社団法人 日本生物物理学会(生物物理について)

電気生理学的手法

「パッチクランプ法による細胞電気応答の記録」

■背景 私たちのさまざまな脳活動、すなわち知覚、運動、感情、認知、意思決定などは、神経細胞が発生する電気信号により担われています。生きている細胞の細胞膜の内側は外側に対して電気を帯びた状態を保っており、感覚細胞や神経細胞は細胞外から種々の刺激(情報)を受け取るとその膜電位を変化させます。この膜電位変化は受容器電位やシナプス後電位とよばれ、活動電位の発生に関与します。この電気応答は電気信号―化学信号―電気信号という変換を繰り返しながら神経回路網を伝播していきます。したがって私たちの脳機能を知るためには、電気生理学的手法を用いて細胞の電気応答を記録することが欠かせません。その手法としてパッチクランプ法がもっぱら使用されます。この方法により、膜電位、あるいは細胞膜全体や電極先端の微小膜(パッチ)を流れる電流を測定することが可能になります。


図1 A: パッチクランプ法による単離有毛細胞からの機械電気変換にともなうトランスダクション電流の測定。B: 刺激用ガラス電極が取り付けられた感覚毛の様子。C: 機械刺激の振幅の大きさに応じて生じるトランスダクション電流。


図2 小脳プルキンエ細胞の細胞体にパッチクランプ法を施し、蛍光色素を細胞全体に拡散させた図。発生した活動電位(挿入図)は矢印の方向に伝播する。

■研究概要 内耳の有毛細胞は、音や加速度といった外界の刺激を機械的な振動として感覚毛で受け取ると、感覚毛上のイオンチャネルを開口します。それによって生じる興奮性の内向き電流は、細胞体に施されたパッチピペットを介して記録できます(図1)。このイオンチャネルの制御にかかわる分子は明らかになってきましたが(文献1)、その下流のシナプス伝達との連関についてはまだ詳しく分かっていません。また感覚入力の一部は小脳へ投射され、プルキンエ細胞によって統合され運動学習にかかわります。プルキンエ細胞の軸索はいくつかの標的ニューロンに投射して神経回路を形成します(文献2)。軸索起始部で生じた活動電位も細胞体に施されたパッチピペットを用いて測定できます(図2)。そして軸索を伝播する活動電位の発火パターンは中枢神経の情報をコードします。

■科学的・社会的意義 細胞の膜電位変化は主にイオンチャネルの開閉によって起こります。各イオンチャネルの特性を知ることは、脳の働きなど生物の機能を詳述するために不可欠です。またさまざまな疾患では、電気応答の異常を伴うことも多いことから、電気生理学的手法はこれら疾患の原因究明と治療法の開発に役立つものと考えられます。

■参考文献 1) Hirono M et al. (2004). “Hair cells require phosphatidylinositol 4,5-bisphosphate for mechanical transduction and adaptation.” Neuron 44: 309-320.
2) Hirono M et al. (2012). “Cerebellar globular cells receive monoaminergic excitation and monosynaptic inhibition from Purkinje cells.” PLoS One 7 (1): e29663.

■良く使用する材料・機器 1) 正立型顕微鏡(株式会社オリンパス
2) マニピュレーター(株式会社 成茂科学器械研究所
3) パッチクランプ用増幅器 (モレキュラーデバイス ジャパン株式会社)
4) 実験試薬(ナカライテスク株式会社)


H26年度分野別専門委員
同志社大学・脳科学研究科・チャネル病態生理部門
廣野 守俊(ひろのもりとし)






 

「電気生理学的手法を用いて、アルツハイマー病を解明する」

■背景 私達が普段、あたりまえのように運動したり勉強したりできるのは、脳が正常に働いているからです。一方で、脳がわずかに異常になると、様々な脳の病気にかかってしまいます。脳を研究することは、脳の働きを知り、脳の病気の原因を知り、脳の病気を治すための薬を創るために、とても大切です。
脳は「電気」で動いています。これは、脳を研究する上でとても重要なことです。脳の神経細胞は、活動電位やシナプス電位といった「電気信号」を発生します。この電気信号が無いと、脳は全く働きません。すなわち、脳の働きとその病気を理解するためには、「電気信号」を調べる必要があります。
脳といえば「生物」ですが、電気といえば「物理」です。そして、この「電気信号」を測る方法が「電気生理学的手法」と呼ばれます。



図1 アミロイドβ蛋白質の脳内投与に対する、海馬シータ波の減弱。

■研究概要 私達は、脳の病気の中でもアルツハイマー病に着目し、研究しています。アルツハイマー病とは認知症の一つであり、その解明が社会的にも強く望まれています。アルツハイマー病患者の脳には、アミロイドβ蛋白質が蓄積しており、これが病気の原因であると考えられています。実際、このアミロイドβ蛋白質をマウス脳に直接投与すると、認知機能障害(記憶障害)が生じることが知られています(文献1)。また、薄切したマウス脳からの電気信号記録(in vitro 電気生理学的手法)により、アミロイドβ蛋白質が「シナプス可塑性(記憶に重要なシナプス現象)」を障害することも報告されています(文献2)。最近、私達の研究グループでは、生きているマウス脳からの電気信号記録(in vivo 電気生理学的手法)により、アミロイドβ蛋白質が「海馬シータ波(記憶に重要な神経回路現象)」を弱めることを明らかにしました(図1)。
このように、アルツハイマー病の原因物質であるアミロイドβ蛋白質が、脳の電気信号に様々な異常を与えることが、次第と明らかになりつつあります。

■科学的・社会的意義 「電気信号」という観点からアルツハイマー病を調べることにより、これまで知られていなかったアルツハイマー病の原因が明らかとなると期待されます。そしてこれらの知見は、アルツハイマー病の治療薬を開発する上で、重要な基礎的情報となるでしょう。

■参考文献 1) Cleary JP et al. (2005). "Natural oligomers of the amyloid-β protein specifically disrupt cognitive function." Nat Neurosci 8: 79-84.
2) Lambert MP et al. (1998). "Diffusible, nonfibrillar ligands derived from Aβ1-42 are potent central nervous system neurotoxins." Proc Natl Acad Sci USA 95: 9448-6453.

■良く使用する材料・機器 1) 実体顕微鏡(株式会社ニコン
2) 脳定位固定装置(株式会社ナリシゲ)
3) 高感度増幅器(日本光電株式会社)
4) 実験試薬(和光純薬株式会社

H24年度分野別専門委員
岡山大学・大学院医歯薬学総合研究科・生体分子解析学分野
井上 剛 (いのうえつよし)
https://pharm.okayama-u.ac.jp/lab/bukka/home.html