非線形・カオス・複雑系

「神経細胞や脳の複雑な振舞いを測定・解析し、その情報処理機能を解明する」

■背景
一見ランダムな現象に見えるが、実は背後に決定論的な規則が存在する振動をカオスと言います。神経細胞(ニューロン)やその集合体である脳にもカオスが存在することは、1980年半ば頃からいくつかの先駆的な実験によって示されてきました(文献1-3)。カオスのようなダイナミカルな振舞いは脳の機能にどのような役割を果たしているのでしょうか?その研究は脳における情報処理機構の解明のみならず、まったく新しいタイプのコンピュータの構築、さらには自然界のより深い理解につながることが期待されています。

■研究概要
カオスのような複雑な現象は非線形システムに現れます。非線形とは文字通り線形ではないことを意味します。線形システムではいくつかの作用があると、システム全体の結果は各々の作用に比例した結果や足し合わせた結果になります。ところが非線形システムでは比例や足し合わせは成り立たず、予期しないような劇的な変化が見られます。
例えば、ニューロンの発火パターンはあるパラメータを少し変えただけでガラッと変わってしまいます。図1は、軟体動物ヨーロッパモノアラガイ注)の咀嚼運動に関わる巨大ニューロン(Cerebral Giant Cell; CGC)の発火パターンを、微小ガラス電極を用いた電気生理手法で測定したものです(文献4)。CGCには何も刺激を与えなくても周期的な発火が見られますが(A)、脱分極刺激を与えるとバースト的な発火に変化し(B)、さらに刺激を大きくすると2種類のバースト発火を不規則に繰り返す複雑な発火パターンに変化して行きました(C)。数理解析を行ったところ、このような複雑な発火パターンにもある規則が存在することが分かってきています。


図1 モノアラガイの巨大ニューロンCGCに見られる複雑な発火パターン.Aは刺激なし.B-Cではそれぞれ30 pA,70 pA,120 pAの脱分極電流刺激を与えた.(文献4より転載)
また図2は、ナメクジの嗅覚中枢神経系である前脳葉の時空間活動パターンを膜電位イメージング法で測定したものです。この手法では電位感受性蛍光色素を用い、その蛍光変化から神経系の多くの部位の活動を同時に測定することが可能です。この例では、触覚に匂い刺激を与えた際の前脳葉(A,B)の活動パターン変化(C)が捉えられました(文献5)。刺激前には各部位の活動には位相差が見られ、神経活動は前脳葉の先端部から基部に伝搬していましたが、触覚に忌避性の匂い刺激を与えると各部位が同調して活動することが分かりました。



図2 膜電位イメージングによるナメクジ嗅覚中枢神経系(前脳葉)の時空間活動パターン.(A)前脳葉の蛍光画像.(B)触覚と共に取り出したナメクジ中枢神経系標本.赤い矢印で示した部分が前脳葉.(C)前脳葉における各部位の神経活動.青い矢印で示した時点で匂い刺激を与えた.下は電気生理手法で同時に測定された局所場電位(Local Field Potential; LFP)波形.電極はAの青い図形で示してある.(文献5より転載)


以上のように、ニューロンやその集合体である脳は非線形システムの特徴を利用して、容易にかつ素早く活動パターンを制御し、高度な情報処理を可能にしているものと考えられます。

注)上記実験では徳島文理大学香川薬学部・伊藤悦郎教授から提供して頂きましたヨーロッパモノアラガイを使用しました。ここに感謝申し上げます。


■科学的・社会的意義
本研究では、ニューロンや脳の複雑な振舞いを測定し、数理解析を行うことにより、その情報処理機構がどのような物理法則に基づくものかを解明します。その結果は新しいタイプのコンピュータの構築、さらには自然界のより深い理解につながることが期待されます。

■参考文献
1)Matsumoto, G., Aihara, K., Ichikawa, M. and Tasaki, A. (1984). “Periodic and Nonperiodic Responses of Membrane Potentials in Squid Giant Axons During Sinusoidal Current Stimulation.” J. Theor. Neurobiol. 3: 1-14.
2)Hayashi, H. and Ishizuka, S. (1992). “Chaotic Nature of Bursting Discharges in the Onchidium Pacemaker Neuron.” J. Theor. Biol. 156: 269-291.
3)Hayashi, H. and Ishizuka, S. (1995). “Chaotic responses of the hippocampal CA3 region to a mossy fiber stimulation in vitro.” Brain Res. 686: 194-206.
4)Saito, M., Hamasaki Y., Hosoi, M. and Nakada, S. (2013). “Various Firing Patterns Found in a Giant Neuron of the Pond Snail Lymnaea stagnalis and Their Dynamics.” J. Phys. Soc. Jpn. 82: 034801-1-4.
5)Hamasaki, Y., Hosoi, M., Nakada, S., Shimokawa, T. and Saito, M. (2013). “Fluorescence Voltage Imaging Technique for the Measurement of Molluscan Neural Activities.” Open J. Biophys. 3: 54-58.

■良く使用する材料・機器
1)蛍光顕微鏡:Nikon TE300, E600FN, FN1
2)冷却CCDカメラ:浜松ホトニクスORCA, HiSCA
3)EM-CCDカメラ:ANDOR iXon3、sCMOSカメラ:ANDOR Zyla
4)デジタルイメージングシステム:浜松ホトニクスAQUACOSMOS
5)アンプ:NeuroDATA IR-283、Cygnus ER-1
6)ADコンバータ:ADInstruments PowerLab
7)スライサー:Dosaka-EM DTK-1000
8)プラー:Sutter T-97
9)マニピュレータ:NARISHIGE MM-3
10)実験試薬:和光純薬株式会社


H24年度分野別専門委員
日本大学・文理学部・物理生命システム科学科
斎藤 稔(さいとう みのる)
http://bio.phys.chs.nihon-u.ac.jp/