ストレス応答

「生物の乾燥ストレス応答メカニズムの解明と応用」

■背景
 ヒトでも大腸菌でも生体を構成する分子の70%は水である。乾燥環境下で、細胞内外の水がなくなるとタンパク質や細胞膜は破壊され、細胞は死に至る。生物は乾燥に耐えるため主に2つの戦略をとる。一つは飲水である。もう一つは、乾燥時に水の代替物質を細胞の内外に蓄え、生体分子を破壊から護る。この状態ではすべての代謝反応は停止しており(乾燥休眠)、生物というより物質状態に近い。再び水が存在する環境に戻ると吸水して蘇生する。後者の戦略をとる乾燥耐性生物の代表は、ナイジェリアに生息するネムリユスリカの幼虫である。乾季になると乾燥休眠し、雨季になると再び蘇生する(図1)。
 ネムリユスリカは、乾燥時に水の代替物質としてトレハロースを細胞の内外に蓄積する。同時に、late abundant embryogenesis (LEA)タンパク質も大量発現される(図2)。これらは水の変わりにタンパク質や細胞膜の周囲を覆いながらガラス化する(文献1)。ガラスは硬くて安定なので、これらの分子を破壊から護る。再び水のある環境に戻されると、これらは水に溶解し、タンパク質や細胞膜から離れていくので、細胞内外の環境は元に戻り、ネムリユスリカは生き返ると考えられている(図3)。しかし、これらの分子が細胞内で働くメカニズムについて、まだ不明な点が多い。




図1 ネムリユスリカ幼虫の乾燥ストレス応答。



図2 トレハロース(左)とLEAタンパク質(右)。



図3 ガラス化による乾燥ストレスからの保護

■研究概要
 ネムリユスリカ幼虫の乾燥休眠状態は、生物というより物質に近い。したがって、そのストレス応答メカニズムの解明のためには、物理あるいは物理化学の手法を用いたアプローチが有効である。具体的には、ネムリユスリカ幼虫内でトレハロースがどのような物理的状態になっているのか調べるため、幼虫試料を破壊せずにそのまま丸ごと赤外吸収スペクトルや熱量測定を行っている(文献1)。また、トレハロースやLEAタンパク質が細胞膜やタンパク質の凝集や融合をどのように防ぐのかを調べるため、in vitroで様々な物理化学実験を行っている(文献2と3)。特に、LEAタンパク質については、天然のタンパク質をそのまま使うのではなく、その活性部位のアミノ酸配列を含むペプチドを化学合成し、それを用いて天然のLEAと同等の活性をもつかどうかを調べている。さらに、これらの物理化学実験データを原子・分子レベルで解釈したり、新規な乾燥ストレス保護物質をデザインするため、スーパーコンピュータを用いた分子シミュレーションも積極的に行っている。

■科学的・社会的意義
 3.11震災後、被災地で何が起こったかの検証作業を通じて、農林水産、食品及び医療などの分野で重要な役割を果たす生体試料の保存技術が未完成であることが明らかになった。一方、生命科学の基礎分野では次世代シーケンサーやゲノム編集技術の発展により、様々な生物の遺伝資源が蓄積されつつあるが、その多くは安定した長期保存法が確立されていない。これら生体試料は、通常は低温あるいは凍結保存されるが、莫大なエネルギー消費、停電リスクが伴う。それゆえ、特に3.11震災以来、エネルギーフリー長期安定保存への対策が迫られている。
 ネムリユスリカは、脳も臓器もある高等動物である。これまでの報告によると、17年間乾燥休眠状態で“生き延びた”という記録がある。ネムリユスリカの乾燥耐性メカニズムがさらに詳細に解明され、様々な生物資源への応用の道が開かれるならば、将来的にはヒトの細胞や組織のエネルギーフリー長期常温保存が実現するだろう。

■参考文献
1) M. Sakurai, et al., Vitrification is Essential for Anhydrobiosis in an African Chironomid, Polypedilum vanderplanki, Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 105, 5093-5098 (2008).
2)M. Sakurai, Biological Functions of Trehalose as a Substitute for Water, Water and Biomolecules: Physical Chemistry of Life Phenomena (eds. Kuwajima K, Goto Y, Hirata F, Kataoka M, & Terazima M) (Springer-Verlag, Berlin and Heidelberg, Germany) pp. 219-240 (2009) .
3)T. Shimizu, Y. Kanamori, T. Furuki, T. Kikawada, T. Okuda, T. Takahashi, H. Mihara, M. Sakurai, Desiccation-Induced Structuralization and Glass Formation of Group 3 Late Embryogenesis Abundant Protein Model Peptides, Biochemistry, 49, 1093-1104 (2010).

■良く使用する材料・機器
1) フーリエ変換赤外吸収スペクトロメータ (日本分光株式会社)
2) スーパーコンピュータTSUBAME (東京工業大学)


H27年度分野別専門委員
東京工業大学 バイオ研究基盤支援総合センター
櫻井 実 (さくらい みのる)
http://www.cherry.bio.titech.ac.jp/